ゆく河の流れは 絶えずして
ゆく河の流れは 絶えずして
紅林千賀子
久しぶりに ちひろと 大喧嘩した。
もうすぐ ちひろに本当の話を告白する予定なのに なんで こんなときに・・・と 後から思った。
数年前 さつきが 修学旅行でオーストラリアに行く予定だったとき(結局 9.11事件で 海外ではなくなってしまったけれど)パスポート申請の為に 初めてさつきに戸籍を見せることになった。そこには 確かに実父の名前があり 今の夫は 養父とあった。
当時 17歳、高校2年生だった さつきは やはり 記された真実にショックを隠せなかった。今の夫と再婚したときは 7歳で もう小学校1年生だったから 彼女は 事実を知っていたはずなのに やはり「記されたもの」は 大きかったらしい。
ふと それを思い出し、ちひろの気持ちを思った。
さつきと違って 産まれて直ぐに 亡くなってしまっている。
真実を 知ったら どれほど ショックだろう・・・。
でも だから、私は 心が揺らいでいるの?! だから 大喧嘩になったの? ちひろの態度と言い分に 腹を立てた自分を 振り返った。怒るのではなく 叱っている? それとも また 同じことの繰り返し? 仏向上、仏向上・・・って 私の場合 蚊取り線香の 渦巻きくらいの向上? と 自分に問いかけながらも いつにないほど 私は 真剣だった。きちんと ちひろと 話がしたかった。
リビングで 夫とたわいもないことを 話していたら それまで 友達に メールを打っていたさつきが 突然
「パパとママってさ 足して2で割ったら 調度いい・・・ていうか・・・釣り合いが上手く取れてるよね」
なんて 言った。
・・・何を 生意気な・・・
と 思って 片笑みを浮かべた。
すると 暫くして 自分の部屋に行ったさつきから 今度は メールが来た。
「パパを嫌いだと 思ったことも、生理的に受け付けないと 思ったことも、本当の 父親ではないと 思ったことも、たったの一度もないよ。パパがいたから 今こうやって住む家があって 食事が出来て たくさんの兄弟に恵まれて・・・。今こうやって家族が仲良くやっているのも、パパとママの釣り合いがとれていて バランスよく保たれているからだと思うんだ。
私が 命を粗末にしようとしたとき
ゲンコツが目に当たってしまったとき
ちひろと海で迷子になったとき
抱きしめるのでなく ひっぱたかれたとき
すごくすごく嬉しかった。
私が パパにネクタイをプレゼントしたとき 目をうるうるさせてた パパを見たとき すごくすごく嬉しかった。
時々 みんなでパパを バカにしたように笑っても 笑って返してるパパは ホントに凄いと思った。
たまに無神経だなって 感じるときもあるけど パパなりに 精一杯に頑張っていて 仕事がうまくいってないときも きっと ママが想像するよりも ずっとずっとずっと 情けなく辛く思ってるんだと 思うよ。パパのふとした表情を見ていて そう思ったんだ。
いつまでも、紅林家の主でいてくれるパパを 尊敬するし 感謝するし 欠かせない存在だと思うし。勿論 ママに対してもそう思ってるよ。なんか、偉そうに聞こえたら ごめん」
突然 一体どうしたんだろう。
ちひろと私の喧嘩を 知りながら 何かを 感じていたのだろうか。それとも 実のお父さんとのメールのやり取りの中で 何かあったのかな・・・
もう一度 メールを読み返したとたん そこに 先日 澤谷先生から戴いたメールの中の「信頼や愛情や智慧」を 感じた。
実父と 養父の間で 生きる 娘の智慧・・・。私の中にも 彼女は それを感じたのかもしれない。
それにしても 養女であるさつきに ここまで 想ってもらえる夫は 流石だ と思った。
夫に 人としての 大きな愛が あったからだ。誰にも解ってもらえなくても 自分さえ 解っていればそれでいい 勿論 見返りを期待するでもない夫の 確かな揺るがない愛が さつきには しっかり伝わっていた・・・そんな 気がした。
それは 同じ釜の飯を食いながら 泣いたり 笑ったりしながら 共に暮らした その生活の中で 確かに 育んできたものだった。最初は 小さな芽だったそこから 暖かい太陽の光を浴びたり 時には雨が降り 時には 嵐にもなり・・・でも その歳月が 愛を育てたのだ・・・と思う。
夫を こころから 素晴らしいと・・・偉大だと・・・静かに そう思った。
私は? 私だって ちゃんとやってきたではないか! そこに 愛があったはずだ。悩んだり 苦しんだりしながらも 一所懸命 ちひろに 伝え続けてきたものが あったはずだ。
8月11日。澤谷先生に 初めて会いに京都へ伺い カウンセリングを受けに行った日から 丁度1年が経つ。
まさか その頃 私は さつきが 実父と再会を果たすとも 思っていなかったし ちひろに 真実を告白する日が そろそろ やってくるなんて 思っていなかった。
・・・ゆく河の流れは絶えずして
しかも、もとの水にあらず
淀みに浮かぶ うたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたる例なし。
世中にある人と すみかと、
またかくのごとし・・・
「方丈記」を また 想った。
澤谷先生の カウンセリングの下 絆の糸をひとつひとつ 紐解いていった。
もう直ぐ ちひろの亡き実の母の命日だ。ちひろの亡き母を想い 絆の結びなおしをし 私の 亡き両親との 絆の結びなおしをし 夫とも 絆の結びなおしをした。そしてそれは 実は「自分」との 絆の結びなおしに 繋がっていた気がする。
あるがままの自分を認め 許し 受け容れることによって そこに真の意味での「誇り」というものをも 見出すことも 出来たのかもしれない。
自慢ではなく 誇り。誇りとは その人をその人たらしめるもの。その人の生き方を支えるもの。・・・と 何かで読んだ記憶がある。生きざまに 裏づけられ そして 生きざまを 裏づけるものだろうか・・・。
私が この1年間で得たもの・・・。それは 自分を赦すこと。認めること。信じること。そして 何より あるがままの自分を 愛すること だと思う。
やっと 大地に根を 下ろせたような・・・そんな気がする。
紅林千賀子
久しぶりに ちひろと 大喧嘩した。
もうすぐ ちひろに本当の話を告白する予定なのに なんで こんなときに・・・と 後から思った。
数年前 さつきが 修学旅行でオーストラリアに行く予定だったとき(結局 9.11事件で 海外ではなくなってしまったけれど)パスポート申請の為に 初めてさつきに戸籍を見せることになった。そこには 確かに実父の名前があり 今の夫は 養父とあった。
当時 17歳、高校2年生だった さつきは やはり 記された真実にショックを隠せなかった。今の夫と再婚したときは 7歳で もう小学校1年生だったから 彼女は 事実を知っていたはずなのに やはり「記されたもの」は 大きかったらしい。
ふと それを思い出し、ちひろの気持ちを思った。
さつきと違って 産まれて直ぐに 亡くなってしまっている。
真実を 知ったら どれほど ショックだろう・・・。
でも だから、私は 心が揺らいでいるの?! だから 大喧嘩になったの? ちひろの態度と言い分に 腹を立てた自分を 振り返った。怒るのではなく 叱っている? それとも また 同じことの繰り返し? 仏向上、仏向上・・・って 私の場合 蚊取り線香の 渦巻きくらいの向上? と 自分に問いかけながらも いつにないほど 私は 真剣だった。きちんと ちひろと 話がしたかった。
リビングで 夫とたわいもないことを 話していたら それまで 友達に メールを打っていたさつきが 突然
「パパとママってさ 足して2で割ったら 調度いい・・・ていうか・・・釣り合いが上手く取れてるよね」
なんて 言った。
・・・何を 生意気な・・・
と 思って 片笑みを浮かべた。
すると 暫くして 自分の部屋に行ったさつきから 今度は メールが来た。
「パパを嫌いだと 思ったことも、生理的に受け付けないと 思ったことも、本当の 父親ではないと 思ったことも、たったの一度もないよ。パパがいたから 今こうやって住む家があって 食事が出来て たくさんの兄弟に恵まれて・・・。今こうやって家族が仲良くやっているのも、パパとママの釣り合いがとれていて バランスよく保たれているからだと思うんだ。
私が 命を粗末にしようとしたとき
ゲンコツが目に当たってしまったとき
ちひろと海で迷子になったとき
抱きしめるのでなく ひっぱたかれたとき
すごくすごく嬉しかった。
私が パパにネクタイをプレゼントしたとき 目をうるうるさせてた パパを見たとき すごくすごく嬉しかった。
時々 みんなでパパを バカにしたように笑っても 笑って返してるパパは ホントに凄いと思った。
たまに無神経だなって 感じるときもあるけど パパなりに 精一杯に頑張っていて 仕事がうまくいってないときも きっと ママが想像するよりも ずっとずっとずっと 情けなく辛く思ってるんだと 思うよ。パパのふとした表情を見ていて そう思ったんだ。
いつまでも、紅林家の主でいてくれるパパを 尊敬するし 感謝するし 欠かせない存在だと思うし。勿論 ママに対してもそう思ってるよ。なんか、偉そうに聞こえたら ごめん」
突然 一体どうしたんだろう。
ちひろと私の喧嘩を 知りながら 何かを 感じていたのだろうか。それとも 実のお父さんとのメールのやり取りの中で 何かあったのかな・・・
もう一度 メールを読み返したとたん そこに 先日 澤谷先生から戴いたメールの中の「信頼や愛情や智慧」を 感じた。
実父と 養父の間で 生きる 娘の智慧・・・。私の中にも 彼女は それを感じたのかもしれない。
それにしても 養女であるさつきに ここまで 想ってもらえる夫は 流石だ と思った。
夫に 人としての 大きな愛が あったからだ。誰にも解ってもらえなくても 自分さえ 解っていればそれでいい 勿論 見返りを期待するでもない夫の 確かな揺るがない愛が さつきには しっかり伝わっていた・・・そんな 気がした。
それは 同じ釜の飯を食いながら 泣いたり 笑ったりしながら 共に暮らした その生活の中で 確かに 育んできたものだった。最初は 小さな芽だったそこから 暖かい太陽の光を浴びたり 時には雨が降り 時には 嵐にもなり・・・でも その歳月が 愛を育てたのだ・・・と思う。
夫を こころから 素晴らしいと・・・偉大だと・・・静かに そう思った。
私は? 私だって ちゃんとやってきたではないか! そこに 愛があったはずだ。悩んだり 苦しんだりしながらも 一所懸命 ちひろに 伝え続けてきたものが あったはずだ。
8月11日。澤谷先生に 初めて会いに京都へ伺い カウンセリングを受けに行った日から 丁度1年が経つ。
まさか その頃 私は さつきが 実父と再会を果たすとも 思っていなかったし ちひろに 真実を告白する日が そろそろ やってくるなんて 思っていなかった。
・・・ゆく河の流れは絶えずして
しかも、もとの水にあらず
淀みに浮かぶ うたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたる例なし。
世中にある人と すみかと、
またかくのごとし・・・
「方丈記」を また 想った。
澤谷先生の カウンセリングの下 絆の糸をひとつひとつ 紐解いていった。
もう直ぐ ちひろの亡き実の母の命日だ。ちひろの亡き母を想い 絆の結びなおしをし 私の 亡き両親との 絆の結びなおしをし 夫とも 絆の結びなおしをした。そしてそれは 実は「自分」との 絆の結びなおしに 繋がっていた気がする。
あるがままの自分を認め 許し 受け容れることによって そこに真の意味での「誇り」というものをも 見出すことも 出来たのかもしれない。
自慢ではなく 誇り。誇りとは その人をその人たらしめるもの。その人の生き方を支えるもの。・・・と 何かで読んだ記憶がある。生きざまに 裏づけられ そして 生きざまを 裏づけるものだろうか・・・。
私が この1年間で得たもの・・・。それは 自分を赦すこと。認めること。信じること。そして 何より あるがままの自分を 愛すること だと思う。
やっと 大地に根を 下ろせたような・・・そんな気がする。


